戻る


★ 家への手紙
無事に到着しました。父島の海は素晴らしく真っ青です。
今夜は連隊長官舎で、我々を迎えての小宴が催されました。我々の他に連隊本部の将校も二、三人いました。
連隊長の前に一人一人進み出て、杯にお流れ頂戴をしますが、僕が「酒をたしなみませんので」と断ると、連隊長は一瞬怪訝な顔をしていましたが、「それもよかろう」と肝の大きそうなところを見せました。これが本心ならいいのですが。
酒宴の主菜は先ほどの大きな伊勢海老です。腹の周が僕の両掌で一杯くらい、とても美味かったです。さあ、明日からしばらく見習士官教育です。

 3 見習士官教育、父島重砲兵連隊の編成、将校達
(『父島「僕の軍隊時代」』42ページつづき)
さて、連隊には五十人ばかりの将校がいた。僕が重砲に在籍していたときに接し今も顔を覚えている人々をここに揚げてみよう。しかし、抜けている人も大分いるだろう。
(職業軍人)街道大佐、松本中佐、高瀬少佐、前田少佐、飯田少尉、山本(順)少尉、山本(迪)少尉。
(幹部候補生出身)桜沢さん、真田(以下敬称略)、佐谷戸、原田、桜井、田町、宮田、広田、川勝、久保、川口、雁金、野村、安部、石橋、山崎、鶴見、永、植松、名古屋、藤代、(以下我々)海川、熊井、木下、持田、鈴木、小菅、高柳、森、園田、吉岡。以下一年遅れて着任した後輩の幹部候補生、松川、市川、市橋、一杉、金、矢島、藤田、他。
(兵科外)加納軍医、島田軍医、篠原軍医、酒井主計、……。
 昭和十九年、これらの中から街道大佐以下、硫黄島に転進し戦死した人も二十名近い。

 4 配属が決まる


一週間ばかりの見習い士官教育が終わり、各々配属命令が出た。……(『父島「僕の軍隊時代」』42ページ)

第二大隊本部 熊井見習士官 健在(平成?年病死)

(『父島「僕の軍隊時代」』44ページのあと)

家への手紙
 元気です。今度、僕の位置は第一大隊本部に決まりましたので、お知らせします。
(『父島「僕の軍隊時代」』44ページ)……印を掘ったりしています。
(この頃はのんびりしていた。手紙と一緒にこの絵を送れた。それで残っていた)
※ 絵が一枚(『父島「僕の軍隊時代」』45ページ)

 5 新任大隊長 高瀬少佐 (『父島「僕の軍隊時代」』44ページへ)