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Ⅰ  父島重砲兵連隊へ赴任

  1 父島へ向かう

 横須賀重砲兵連隊での見習士官生活を一ヶ月近く送った昭和十七年の四月終わり頃、

我々三十名のうちの十名に転任の命がでた。僕(当時二十四歳)もその中に入っていた。

転出先は父島要塞重砲兵連隊であった。

 四月十九日の帝都への初空襲を経験はしたが、

それはたった一機のデモストレーションであり、別段のこともなかったので、

戦局の優勢を信じていた我々は、父島と聞いても戦地に赴くという気持ちなど全く無かった。

戦地ともなれば行く先は秘密であるはずだが、行く先が父島と示され、

出発日も決まったので、僕は休みをとり家族に別れを告げた。


我々見習士官の十名は次のとおり。海川、熊井、木下、持田、鈴木、

小菅、高柳、森、園田、そして吉岡(僕)であった。

父島重砲兵連隊からは宰領者として土屋少尉が来た。


 四月二十三日、朝。我々は横須賀港から海軍の特設艦隊「まがね丸」に

乗船して父島に向かった。特設艦隊とは一般の商船を徴用、

艤装し軍艦として使用するもので、「まがね丸」は敵潜水艦を爆雷で

破壊するのが任務であった。船首および船尾には野砲の備えもあった。


 我々はそれらにあまり関心を抱くこともなく、与えられた個室でゆったりと構えていた。

八丈島を超える頃から軽く船酔いしたが、概ね快適な航海を続け、

三日目の朝、島が見えるとの誰かの声に、甲板を登ると、

船の進行方向左手に点々といくつかの島影が見えた。

海軍の人達に聞くと、聟島列島らしい。


最近この辺りに米潜水艦が出たということからなのか、船は大きくジグザグ行進を始めた。

お昼近くに、大きな島影が見えてきた。いよいよ父島列島だ。

船はその一番大きい島を指して進んでいく。父島がぐんぐんせまってくる。


 僕ら砲兵は、専門の双眼鏡でずっと島を観察し続けていた。

何とごつごつした岩だらけの島だろう。海岸からいきなり崖となってそそり立ち、

その上の山には大きな岩石が突き出ている。どこにも、集落や耕地が見えない。

やがて、船は大きく左旋回をして、ぽっかり目の前に開けた湾に滑り込んだ。

地図で見ていた二見港だ。船は港の中央に停泊した。

両の手に抱きかかえられたような立派な湾だ。やっと町らしきものが確認できた。

山を背負ったような狭い平地にびっしりとこびりついたように、大村が広がっていた。

白砂の浜、手を入れれば染まりそうな紺碧の海。

まぶしい、もう真夏のような太陽。椰子の木陰。

これらは僕の瞼に描いていた南国の姿そのものだった。

やがて我々は軽い興奮を覚えながら、軍装を整え、タラップを降りて迎えの筏に乗り移った。

……『父島「僕の軍隊時代」』本文36ページへ続く